- TALK
八幡市長・全国最年少女性市長
川田翔子
山東昭子との出会いは?
衆議院議員になられている土田慎代議士のご紹介、ご縁もあってお会いさせていただきました。
土田代議士とは大学が同じで共通の知人が多かったものですから、山東先生のところがすごく勉強になるよと教えていただきまして、
ぜひ勉強させていただきたいと思い、国会議事堂でお会いさせていただいたのがはじまりです。
気品と気高さと美しさみたいなものをあわせもってる方とお会いするのは初めてだったので、緊張はしましたが、すごく親しみやすい話し方、接し方をしてくださって打ち解けられました。
影響を受けたことは?
山東先生はすごく部下をすごく可愛がられ、面倒を見てくださる先生なのが印象的です。
事務所のスタッフ等含めて、ほとんど入れ替わりなどなかなか起こらないですし
私がお仕えしたのが議長の時もあったんですけど、家族みたいに可愛がってくださるので
人といっしょに仕事をするというところにおいて
議員の先生ですとやっぱり目上に立たれる方が多いので、そういう立場に立たれる方こそ人を大切にするということが
本当に大事なんだなということが見させていただいていて痛感しましたし、今の自分にも心に残っています。
印象的なエピソードは?
食生活であったり健康というところにものすごく高い感度をもって活動をされていたというのが印象的です。
それは私がお仕えするずっと前から10年、20年という長いスパンで栄養であったり、食であったり、健康というところに高い意識を持って議員としても活動されてますし、ご自身の生活を通しても完璧に高い意識をもって実践されてるというのが印象的でした。
食・栄養というのが健康につながっているというのをすごく強い信念をもって活動されていましたし
今、私がこうして市長の仕事をやらせていただいていても、社会保障費の増大というのが社会課題になっていますけど、そもそも病院にかからないようにするということが理想ではなくマストで必要なことなんだなというのが経済的にも本人の心身としても様々な面で重要なんだなと今も痛感しているところです。
山東昭子と目指したいこと
京都の八幡で市長をやらせていただいてるんですが、国政に山東先生がいてくださるのが本当にありがたいことでして。
地方自治体においてもすべて予算とか政策を決めているのが東京なんですよね。
東京にいかに1700以上ある自治体の中から八幡という街でこんなことをしている、こんなことで困っているということを
私たちとしては東京にいかにその声を届けるということが本当に私としてもミッションなので、
山東先生というすばらしい先生が東京にいてくださって私共の声をしっかり聞いてくださるのがとても心強いです。
やりたいこととしては私共自治体としてもスマートウェルネスシティと言いまして、健康政策をとても力を入れて先代の市長の頃からやらせていただいているんですね。
これはやはり社会保障費、医療費の削減であったり、より良いウェルビーイングな暮らしというものにもつながるということでとても力を入れさせていただいておりますのでこういったスマートウェルネス、健康政策というものを国の政策とも連動させてぜひやらしていただきたいなと思っています。
山東昭子へのメッセージ
山東先生、教えていただいたこと今も活かして、頑張らせていただいております。
ぜひこれからもずっと先生といっしょに頑張りたいと思っておりますのでこれからもよろしくお願いします。
衆議院議員・財務大臣政務官
土田慎
山東昭子との出会いは?
秘書になるとき、知り合いの方に山東事務所を紹介していただいて
そこで面接に行ったときが最初の出会いですね。
その時に私からすると四回り年上ですし、ある意味、大政治家だったので
非常に緊張して行ったのですけれども、人を包み込むような優しさと笑顔があるのが印象的でした。
エピソードなんですが、山東事務所に入ったばかりのときに
最初、運転をしてまして、運転がそんなに上手くなかったので
山東先生の車を山東先生の家に思いっきりこすってしまい、
すごく怒られるかなと思って、すごく緊張して謝ったんですが
車なんてこするもんだし、しょうがないよと
そういうおおらかなところが非常に印象的なエピソードとして残っています。
影響を受けたことは?
山東先生に影響をうけたところは3つあって、
1つ目は要望を受けたらすぐにやるということです。
山東先生っていろんな方から、議員とか国民ですとか色んな方から相談受けたときに
明日まで待つとかそういうのが無いんですよね。
その場で電話したり、白黒つけるというのが結構あるので
私もなにかご要望いただいたり、ご相談受けたときにすぐ解決というか
できるできないは別としてすぐ結論を出せるように心がけています
2つ目は決断をするっていうところです。
なかなか世の中って決断できる人って意外と少なくて例えばどういうところかといいますと
内容の賛否は別としてちょっと前にLGBT理解増進法というのがありました。
これ党内にも賛成反対色んな人がいましたけれど山東先生は毅然として投票・採決のときに
議場を出ていったんですけれどもやっぱりそこまで腹を決めて決断できる人は少ないなと
それは本当に尊敬しているところですね。
3つ目は 今 1つ目2つ目と話ししましたけれど
これを聞いているとすごく怖そうなイメージがありますけれど
山東先生の秘書を約4年弱ぐらいやっていたんですが
怒られたこと無いんですよね。
大事だなと思うのはおおらかであること、常に笑っていること、にこにこしていることというのは非常に大事で
それっていうのはやっぱり運も手繰り寄せれるでしょうし周りの人にも好かれるので
1つ目2つ目3つ目と矛盾することのように見えるんですけど
早く決断してけれど常ににこやかにというのは政治家としてすごい大事だなと思っています。
印象的なエピソードは?
私として一番印象に残っているのは尖閣の問題のときで、
これは尖閣諸島、一時期、中国にとられそうだ、危ないって話になったときに
山東先生が地権者の人とお知り合いで石原都知事と繋いで東京都に買ってもらおうと。
そのために寄付も集めて買える状態までいきました。
結果としてその時、民主党政権でたしか(総理が)野田さんだったと思いますけど
国で買って有地化するという話があったんですけども
私がここで言いたいのは、山東先生のすごいところというのは人と人とを繋げる力というのが非常にあって、
なかなか何か相談したときに誰か紹介してくださいといっても紹介できる人がいなかったりして
結構困るんですよね、我々、だけど山東先生の手にかかっちゃえば誰でもだいたい知っている。
それを何故かというと先程言ったことと被るんですけど常ににこやかに人に好かれるタイプの方なので
私も見習いたいなと思っていることがそこです。
今後一緒に取り組みたいことは?
日本の魅力を世界の人たちに適切に発信をしたいなという風に思っています。
山東先生が力を入れてやっていることの一つに
実は富士山登山鉄道プロジェクトというのがあって。
今富士山の5号目まで鉄道を引いて
そしてその5号目に今いろいろな宿とかありますけれども
そこを例えばかなり高付加価値化して
当然普通の人たちも泊まれるし
大金持ちの人も泊まれるというような。
要はいろいろかなり高付加価値化して
しっかりとその魅力をいろんな人に伝わるようにしようと。
なぜかというとやっぱり富士山というのは
日本の象徴なわけですけれども
富士山の5号目まで向かう車道なんかは
ものすごい混んでいたりだとか
さらに5号目行ったら山小屋がものすごい混み合っていたりするんですけれども
そこはやっぱりですね
皆さんに快適に日本の象徴である富士山を
わざわざ登ってもらうわけですから
それがいい体験となって世界に伝わるように
ということを山東先生ずっと力を入れてやられています。
これ今富士山の例を挙げましたけれども
そういう観光地って日本にいっぱいあって
これをやっぱり日本に来てもらって
日本にいい印象を持って
それで国に帰ってもらうと
これやっぱりある意味ソフトの力として
例えば外交の側面とかでも
生きてくる部分は多々あるんだというふうに思います。
ビジネスの側面でも
そういう意味でこれから山東先生は発信力がすごいありますし
そして感性も非常に豊かなので
日本の魅力を適切に外国の人たちに知ってもらう、理解してもらう
そしてある意味ビジネスとか外交、ソフトな力につなげていくという取り組みを
山東先生の力を借りてやっていきたいなと思っています。
山東昭子へのメッセージ
山東先生にはこれからも、高齢者の先駆けとして、先駆者として、頑張ってもらいたいと思っています。私はおかげさまで31歳で当選をさせていただいて、若い政治家頑張れよというふうに言われます。
確かに若い政治家が頑張らないといけないし、人口に対して若い政治家の割合が非常に少ないので、その政治家の数も増やしていかないといけないと思っています。ただ私は若いからこそ言えるんだというふうに思いますけれども、若けりゃいいっていうものでもないというのは実感をしています。
それこそ、先輩だからこそ積み重ねてきた人間関係もあるし、そして経験もあって判断もある。これ、非常に大事だというふうに思っています。ただ一方で政治家という肩書であっても、元気でなければ意味ないというふうに思っています。
そういう意味で今、高齢化社会日本が迎えている中で、全国で多くの先輩たち、高齢者の皆さん方に、もっともっと頑張っていただく、活躍していただく場面がある中で、山東先生が皆さんに元気を与えるような、そして皆さんのその先導となるような、立場・役割を果たしていってもらいたいなと思います。
見てて思いますけれども、もう私よりもはるかにエネルギッシュで元気だなというふうに思っていますので、そんな山東先生がこれからまさに日本のたどる道の1億総活躍社会人生100年時代、人生120年時代かもしれないですけれども、そこの先導を切って駆け抜けていただくことを、私も期待したいなというふうに思います。
埼玉県会議員・埼玉県連青年局長
細田よしのり
山東昭子との出会いは?
私が22年前がちょうど20歳だった頃なんですけれども、
大学2年生で必修の授業でレポートを書かなければいけない、
インターンシップに1週間行ってこい、
そういう授業があったんです。
私、父の関係で山東先生にご紹介をいただいて
山東事務所に2週間お世話になることになりました。
そこで山東先生に初めてお会いしたんですけれども、
今まであった政治家とは一線を画す気品というか、
姿勢がそもそもすごくいいのが山東先生で
本当に声の出し方からこの人はやっぱり芸能界にいらっしゃったそういった経験で
本当に小さい頃から芸能界にいたっていうのを感じるような。
それでいて政治の中でも、すごいキャリアを積んでいらっしゃって重鎮となっておられました。
本当に20歳の僕にとっては、すごい人にあったというのが最初の印象です。
そして山東事務所の特徴なんですけれども
山東先生に長年今でもお使いになられている秘書の先輩がいるんですけれども
あなたはもうここの事務所の息子になったと思って
実家にいるというふうに
そのぐらいの気持ちでいなさいというふうに
私言われても間に受けてしまって
本当に居心地が良くて、
2週間のつもりが22年お付き合いすることになってしまいました。
影響を受けたことは?
山東先生が初当選したのが32歳、参議院議員。
私、32歳、同じ年に県議会議員に立候補して当選したという共通点であります。
自民党には青年局という組織がありまして
約45歳まで活動する若手の議員・党員の組織なんですけれども
山東先生も若かりしき心青年局で活躍をされておられて
私も実は去年の秋まで自民党の青年局の中央常任委員会の議長という役で
本部で活動させていただきました。
党の執行部ももちろん政策的に重要な位置づけであるんですけれども
やはり若手そして国民に一番近い立場なのが青年局の肌感覚だと思っています。
その青年局の歴史を山東先生から受け継いだということは非常に私にとっても誇りであります。
印象的なエピソードは?
山東先生の政策はやはり一番大きいのは「健康づくり」ということであります。
私が秘書に仕えていた頃、元気な120才を創る会という会の理事を務めていらっしゃって、
「これから私たち120歳生きる世界になるんだな」というのをもう20年以上前から提唱されてこられました。
私は一つのトピックとして受動喫煙防止対策というのが一時話題になりました。
山東先生も議連の会長として法案の取りまとめに尽力されて法律が出来上がったんですが
受動喫煙防止法が施行されて、私、埼玉県議会議員になっておりましたので
埼玉県でも法律でちょっと行き届いてない部分を見つけまして、
埼玉県の条例を私、中心的にまとめさせていただきまして
児童喫煙防止条例を作りました。
山東昭子と目指したいこと
今の自民党の執行部に喝を入れられるのは 山東昭子先生だけだというふうに思っています。 地方議員の一人として 山東先生と自民党を蘇らせる、自民党をもっと素晴らしい政党に 喝を入れていただくということを期待して 私も地方から声を上げていきたいと思っています。
山東昭子へのメッセージ
これからも山東昭子ファミリーの一人として ぜひ可愛がっていただきたいのとともに 元気な120歳をぜひ目指していただいて 日本国のためにこれからも頑張っていただきたいと思っております。